テニスを熟知しサポートできるPTは限られるし、それで生計を立てている人は0に近い。
さらに海外遠征という舞台でサポートできる人となると、日本のPTでは僕しかいない。
誰もできる人がいないから、僕はこの仕事をやれてるんです。
そんなオンリーワンが、これからのPTに求められると思うんです。
— 西川 匠 (@physio_tennis) 2018年8月2日
どんなニッチな分野でも、自分が情熱を注げて、それを求める人がいる限りは仕事になり得る。
僕が今までやってこれてるのは、これに尽きると思う。
自分が特別できる人間なんて一瞬たりとも思ったことはないし。
オンリーワンで突っ走れるPTはこの先強いよ。間違いなく。
— 西川 匠 (@physio_tennis) 2018年8月2日
約10年前。テニス選手の体をサポートしたいと思ってPTの学校に入った。
PTなったらそういう仕事があるもんだと思ってた。でも違ったんです。そんな仕事はなかったし、「スポーツを仕事に」とか寝言は寝て言えみたいな業界の雰囲気があった。
それから10年、トライし続けてよかったと今思ってます。
— 西川 匠 (@physio_tennis) 2018年8月2日
オンリーワンの分野でやっているPTの人と話すと、全く違う世界のはずなのにすごく共感できたりリスペクトの感情が生まれてくるんですよね。
「あ、この人も何もないところから自分で道を作ってきたんだな」と。
ちっちぇ世界で背比べするくらいならオンリーワンを目指す方が人生100倍豊かになるよ
— 西川 匠 (@physio_tennis) 2018年8月2日
PTの業界だから余計に感じるのかもしれませんが、今や職人技だけじゃ食っていけない、十分に稼いで生きて行くことができない時代です。
それだけ世の中が高度化して、価値の高いものや希少性のあるものが求められてるということでしょう。
話は変わって、僕がPTを志そうと思ったのが約10年前。
当時は高校生だったので、もちろんPTの世界のことなんてよくわかりません。
「なんかスポーツに繋がる仕事ができるんじゃねえか」みたいな、そんなノリでした。
…とは言っても、当時からテニス選手の体をサポートする仕事をしたいとは考えていましたよ。当時の一番の間違いは、「PTになれば自然とその仕事につくことができる」と何も調べずに思っていたことですね。
当然、養成校に通い始めて「なんかおかしくね?」って理解し始めますww
そう、PTが現場にでてテニス選手をサポートする、ましてや国内海外を飛び回って選手と一緒に戦っていくなんて、やってる人もいなければやろうとしてる人も全くいなかったんですよね。
※今でもPTでは日本中探しても僕一人ですけど笑
もちろん、周りはいろんなこと言ってましたよ。
「スポーツでやってくとか一握りだけだから!」
「時代は高齢化社会なんだからスポーツなんて夢見たいなこと言ってんな!」
みたいなね。
けど、かれこれ10年トライし続けて、今の自分があります。
幸い、今自分がやってる仕事は、日本中で自分にしかできないという自負はあります。
そこ(オンリーワン)を目指してやってきたわけですから、そうでないと困るんですが。
けど、上のツイートにもありますが、大前提としてそのジャンルに需要がないとダメなんですけどね。
僕の場合は小さい市場ながらも、その専門家を求めてくださる人がいるので、僕の仕事が成り立っています。
さて話は戻して、今後のPT業界で求められるもの。
それは治療技術とか経営的思考とかそんなちっぽけなものではなくて、オンリーワンのポジションだろうと確信しています。
働く側としても、求める側としても。
例えばスポーツでいうと、障害者スポーツを専門に診れるトレーナーとかめっちゃ需要あるんじゃないかと思うんですよね。脊損とか医科学的に評価分析できるのって、やっぱりPTの十八番でしょうし。
むしろ、なんで障害者スポーツ専門のパーソナルジムとかがないのかがよく分からん。誰かやったらいいのにw
そのほか、僕の周りにもPTでオンリーワンのポジションで活躍されている方を知っています。
彼ら彼女らはエネルギーに溢れていて、ニッチであろうと自分の分野に信念を持ってるので接してて気持ちがいいんですよね。
しかしオンリーワンのポジションをとったとしても、常に走り続けないといけないのもまた事実。
グズグズしてるとみんな追いついてきますからね。
僕はこのまま
競技テニス×PT×世界
というジャンルで走り続けていきます。
あなたはどんな「オンリーワン」を目指しますか?
追伸:スポーツを仕事にしたい理学療法士の方へ
- 自身の現状(勤務状況やスポーツとの関わり)、今後の目標を話していただけること
- 配布動画を全て見て、その後感想などの連絡をしていただけること
- スポーツ分野を仕事にしたいという強い気持ちがあること