■病院勤務1年目
いろんな想いを抱えながらスタートした、社会人一年目。
正直この時頭の中は、どうやってスポーツを仕事に…なんて考える余裕はなかったです笑
病院の業務はもちろん、飲み会やあいさつ回りなど入職後の数ヶ月はやることが多く、スポーツのことは全く考えずに目の前の仕事をこなしていました。
それが落ち着いたのがちょうど夏頃でしょうか。
入職して数ヶ月が経った頃。
この間、もちろん学生時代に紹介していただいた水泳のトレーナー活動は続けていました。
が、やはりボランティアだとどうしても「本職が忙しいと休んでしまう」となってしまいます。
このころから学んだ経験は、「結局ボランティア活動は続かない」ということでした。
もちろん、現場側は理解してくます。
ただ、理解しすぎて気を使うんですよね。当たり前ですが…
仕事の合間を縫ってきてくれる専門家に、強い要求はできません。
つまり、名実ともにチームにとって「プラスα」の存在を超えられないわけです。
実は、これは僕に限らず、多くのPTやトレーナーが悩んでいることでもあります。トレーナー業界全体の問題と言った方がいいかもしれないですね。
ただ、「もし次に現場と契約する段階になったら、必ず有料の交渉をしよう。そして、お互い仕事としてしっかり契約してサポートしよう」というのは心に決めていました。
そして、その機会は割とすぐにやってくることになります。
というのも、母校である近大付属高校テニス部の顧問の先生に連絡を取った(これは単に「おかげさまでPTになれました!」というあいさつで連絡しただけだと記憶しています)ところ、「西川、ウチのトレーナーやってくれよ!!」と逆にオファーが来たんですね。
で、その時は電話越しだったので、後日日程を合わせて現場に行くことになりました。
現場への視察当日、一通り練習を見たあと、先生とテニス部の今後の目標について話し合い、具体的に契約をどうするかという話になりました。
これが、僕が人生で初めて、トレーナー活動の契約を交わした瞬間になりました。
この時僕は、自分がどんなことができるのか?を顧問の先生に伝えるため、水泳の現場で取り組んできた実績を見せながら話を進めました。
具体的には、
・毎週、選手から体調や体の様子、水泳(テニス)に関するモチベーションなどをメールで送ってもらい、それを表にまとめる→選手の声と、指導者間のパイプ役、情報共有の役割
・定期的にフィジカルチェックを行い、そこから得たデータを元に体の改善策を選手や指導者に伝える
といったものです。
当時、水泳の現場はこうした取り組みが徹底されていたので、そのアウトラインを見せることで、「おお、こんなにしっかり仕事してるんだな」と言ってもらいました。
そして、ボランティア経験を通して、お金をいただいてサポートしたい旨を伝えました。
ここで現場側は僕の主張に納得してくれたのですが、すでにテニス部は外部のコーチを雇っていて、そのコーチに支払うフィーで部費の余りがほとんどない、という財政状況でした。
そのため僕に支払えるフィーはわずか、月に1万円ほどしかないと言われたんですね。
僕自身、テニス部の金銭事情はある程度知っていたので、この「月1万円」で受けることにしました。
実際、週に一回サポートにいけるかどうかのレベルでしたが、これで初めてもらったサポート費1万円は、病院の給料20万円よりも嬉しかったのを覚えています。
ちなみに、この経験を踏まえていま僕が思うことは、「できるだけ早く、こうした契約の場を経験したほうがいい」ということです。
たとえ月1万円でも、実際に人対人としてリアルな契約の話をすることは病院ではほぼ経験できないですし、場数を踏むことでコツがわかり、交渉も上手くなっていくからです。
とにかくこうして、働きながら休みの日にトレーナー活動する生活が始まりました。
まだ一年目の夏頃だったので、病院の仕事をこなしながらトレーナーの仕事もして、その空き時間に勉強をする…
そんな生活を送っていて、毎日頭はパンク状態でした。
この時は知識も経験も技術も未熟過ぎたので、日々目の前のことに対して勉強し、実践するしかありませんでした。
もちろん、この先どうやって仕事を広げていこうなどは、考える余裕はなかったです。
そうして、社会人2年目、迷走と転機となる年を迎えることになります。
■病院勤務2年目(迷走→転機となる出会い)
病院勤務が2年目に入ったからといって、特にやることは変わりませんでした(当たり前!!)。
病院の仕事をしながら、休みの日はトレーナーの仕事。合間は勉強したり。
ちなみに書き忘れていましたが、当時僕の職場は自宅から電車とバスで1時間半以上かかっていました。
毎朝満員電車に揺られ、夜の帰りも遅い。
体は疲れきってましたね笑
ただ、2年目に入り病院の仕事が少し落ち着いたことで、やっとこさ将来について考える時間ができました。
で、いざ我に返ってみると、「あれ、俺ってこれからどうしたいんだっけ?」って、自分のやりたいことが見えなくなっていたんですよね。
「テニス選手の体に関わる仕事がしたい」とは思っていましたが、そんな仕事がPTとして確立されているわけではないですし、PTの現状はとうの昔に知っていました。
だから、これからどんな道を歩めばいいのか、それどころかPTとして働いていて、自分のやりたいことができるのかどうかもよく分からず、なんとなく不安を抱えながら日々を過ごしていたのを覚えています。
もちろん、この頃は社会の仕組みを何もわかっていなかったので、今はみんな知っている「企業・独立・フリーランス」なんて言葉すら知りませんでした。(今考えるとだいぶやばいですねw)
しかし、時間は待ってくれません。
春が終わり、夏が過ぎ、母校のトレーナーとして試合に帯同することはあっても、そこから仕事が広がる気配は全くないまま、秋になろうとしていました。
ちょうどこの頃、テニスの仕事とは別に、純粋に実家から1時間半かけて病院に通うのがしんどくなってきたんですよね。
僕自身、満員電車が死ぬほど嫌いなのですが、それはこの頃の経験で自覚したんです。
とにかくものすごくストレスでした。
で、ある程度お金は溜まってるし、実家を出て一人暮らしをしたいという想いもあったので、職場の近くに一人暮らしをすることにしました。
これは当時なんでもない選択のつもりでしたが、後々振り返ると本当にやってよかった、というか引越ししてなかったら今の自分はなかったかもしれない、と思ったりもします。
↑一人暮らし当時の、僕の部屋です。カッコつけて観葉植物なんか置いてましたw
さて、引越しして一人暮らしを始めると、もちろんお金は羽を生やして飛んでいきますね。
けれど、それと引き換えに、あるものを得ることができました。
それは、「自分自身と向き合う時間」です。
そもそも社会人になると、一人の時間がめちゃくちゃ増えます。
それまでは通勤時間が長かった上に、帰ると疲れて何も考えられなかったので、時間的にも体力的にも、自分自身のキャリアや今後について考えるヒマがなかったんですよね。
これが、一人暮らしをすることによって、イヤでも自分自身と対話することが増えました。
(余談ですが、この「自分自身と対話する時間」は、今でもものすごく大切にしています。人間が飛躍的に進化し成果を上げるには、世間と距離をとって自分の課題にひたすら向き合う環境と時間が不可欠だからです)
すると、今度は自然とパソコンなどを使って、情報を集めるようになります。
僕の場合、今まで知らなかった社会の仕組み、フリーランスという選択肢があることや、競技は違えど他のスポーツで独立したり、パラレルキャリアで働いている人が多くいるということを知りました(おっそ!!)。
同時に、テニスではどうか?を調べました。しかし、この時点でもまだ、PTとして僕のやりたいことを形にしている人を見つけ出すことはできませんでした。
ただ、このとき「ほんなら、自分がパイオニアになればええやん」と思ったのはよく覚えています笑
そして、とにかく手当たり次第に大阪のテニスクラブに電話し、トレーナーを探していないか、仕事をさせてもらえないかと話をしました。
そしてその内の一つのテニスクラブが、ちょうど理学療法士を探していたのです。
この出会いがのちに、僕のキャリアを大きく変えることになるのですが、こうして時系列で振り返ってみると、一人暮らしをしてなかったら多分電話してなかったんですよね笑
時間的にも体力的にも余裕がなかったので。
さて。
ここで少し話は逸れますが、カンの良い方は気がついたかもしれません。
僕の場合、うまくいったケースの多くが「時間を確保しようとした」行動が土台となっていたんですよね。
・勉強時間を確保するために、自宅近くの学校に通った
・トレーナー活動をするために時間的に融通がきく職場に就職した
・一人暮らし(は、満員電車がイヤだっただけなので結果論ですがw)
これは、すべての人に共通するかはわかりません。
あくまで僕の経験談にすぎません。
が、少なくても独立後においても、我を忘れるほど忙しい時期はいい成果を残せていませんし、仕事の幅も広がっていません。
反対に少し自分と対話する、あるいは自己投資に努めるための時間を作っていると、自然とアクションを起こし、それが成果につながっています。
これは、もしかすると皆さんにも役に立つ心得かもしれませんね。
すみません。
話を戻します。
電話でアポを取って足を運んだ現場ですが、そこはジュニア選手の育成に力を入れているテニスクラブで、その指導者の方は幼少期からの育成に必要なノウハウを熟知されていました。
しかし、指導者という立場ゆえ、体の動きや細かい動作を分析したり、テニスに必要な体の要素をトレーニングするという知識が少なく、それを求めて理学療法士を探していたんですね。
(また、テニス選手は非常にケガが多く、そのコーチも手塩にかけた選手が怪我で離脱する経験をしていたために、予防の重要性も理解されていました)
そこに、高校までテニスに取り組んでいた&現役の理学療法士だった僕がアポを取ったので、現場側は渡りに舟、棚からぼた餅という具合に、僕にあらゆることを求めてくれました。
僕自身も、PTとしての経験が豊富ではなかったですが、少なくても現場の方よりは専門なので、ベストを尽くしその時できるアドバイスやトレーニング指導、怪我のサポートなど率先して行いました。
今までにない手応えを感じていたので、やがて母校のトレーナー活動とは別に、この現場に休みの時間を全て使って足を運びました。
これがPT2年目の冬(もうすぐ3年目になる頃)だったと記憶しています。
病院の仕事を週に5日、母校のトレーナー活動を週1、そして新しいこの現場を週1(+可能なら病院勤務が終わった後にも向かっていました)。
かなりハードな毎日でしたが、純粋に楽しかったです。
さて、ここからは僕のキャリアが変化・加速していくのですが、ここで一旦僕の転機となったこの時期を振り返ってみます。
皆さんがこれからスポーツを目指すにあたって、参考になるであろうヒントをまとめてみますね。
僕が病院に就職してからやったことは、
・自由に活動できる就職先で働き始めた休みを使って、母校のトレーナー活動を始めた(初めて有料サポートの契約を結んだ)
・一人暮らしを始め、自分と対話する時間を確保した
・その時間を使って社会の仕組みを勉強し、また今後のキャリアを見つめ直した
・テニスクラブに電話をかけまくって、現場に足を運んだ手応えを感じた(求められている)現場に、時間も労力もコミットした
冷静に考えてみると、これらは別に病院で働いて2年もかけなくても、もっというと学生のうちからやろうと思えばできていたことなんですよね。
逆に言えば、意識して取り組まないと、10年目のPTでもできないことかもしれません。
学生は基本的に時間は有り余ってますし、月1万の契約なんて自分が勇気を出せば学生でもできます(交通費支給といえばいいだけですから)。
トレーナーとして経験を積むことも、新しい現場を自分で開拓し労力を注ぎ込むことも、全て基本的に誰にでもできることです。
ただ、そうは言っても、チャンスを得るためには土台となる知識や経験が必要というのもわかります。
実際、この間あらゆる方面での勉強も同時進行しましたし、その時得たスキルはかなり役立っています。
それらすべてを今回網羅することは難しいですが、僕が学び実践してきたものをまとめたテキストがいくつかあるので、紹介しておきますね↓
(有料なので気が向いたらで構いません。売りつけるつもりは一切ないのでw)
スポーツを仕事にするテキスト
こちらは、僕がこれまでのキャリアで学んできたことをできるだけ網羅した動画コンテンツ集で、現在650人以上のセラピスト・トレーナーの方に見ていただいています。
- スポーツ現場で使える知識や考え方
- スポーツを仕事にしていくためのスキル
- 独立し、本業として長く続けていくためのスキル
に分けて解説しています。かなりボリュームがありますが、2022年10月現在も毎月コンテンツを追加しています。Twitterでなかなか言えない内容も含んでいます笑
値段は9,980円と安くないですが、定期的に割引キャンペーンも行っているので、気になる人は覗いてみてください。
選手の体を学ぶテキスト
こちらは、僕が学んできた専門的な内容を、スポーツ現場の指導者や選手・保護者なども学べるようにライトにまとめた動画コンテンツ集です。
スポーツ現場の方々は、昨今体のことを真剣に勉強されている方が増えました。一方で専門的な内容を素人が理解することは難しいので、スポーツ現場で関わる皆が共有できるよう噛み砕いて解説したのがこのテキストになります。
さて、ここまでが病院で働きだしてから2年間のお話でした。
そしてその次の3年目、いよいよ一気に仕事が広がり、同時に独立を決意し、その準備を進めていく段階になります。
ここから先は、スポーツを仕事にしていく上でかなり詳細な話も含んでいますので、あなたの未来に何か参考になれればと思います。
■病院勤務時代3年目(独立を決意、準備)
先の現場にコミットしてから2ヶ月ほど。
PTとしては、3年目を迎えました。現場のコーチとの毎回深い意思疎通ができ、現場の選手や保護者の方とも良い関係が作れてきた頃、
「匠、そろそろ匠のサポートにお金出さなあかんな」と、コーチから提案がありました。
僕も以前の経験から、いつまでもボランティアではいけないとは思っていたので、ここでしっかりと契約の話をすることになったんです。
で、今回はコーチの方から具体的な提案があったんですね。
詳細は伏せますが、大まかには、
・月に4回のサポートで、基本の費用をいくらか(これは現場側から)→現場に来ている時、選手に何か体のトラブルがあれば、簡単なチェックは無料で行う
・毎回のサポートでは、約2時間のトレーニング指導で一人1500円+交通費を人数割(これは選手側から直接)
・さらに個別でパーソナルトレーニング及び体のケアの希望があれば、それは僕が提示する金額で自由に
という感じでした。
この内容は非常に合理的で、皆さんもスポーツの現場に出る場合、このような提案の仕方はベターではないかと思っています。
トレーナーに対して選手(あるいは保護者)の希望する熱量は個人差があるので、全体でサポートする分と個別でサポートする分、さらにトラブルがあった時には無料でチェック(無料枠を設ける)という組み合わせは、現場ではかなり仕事がしやすくなるはずです。
そして同時に、コーチの提案でブログを始めることになりました。
そのブログは今でも更新し続けているのですが(ツイッターでは頻繁に更新を流していますよね)、一番古い記事がちょうど、このブログを始めた頃の記事になります。
当時の記事が今も残ってるんですよね。
ちょっと恥ずかしい笑
この「ブログを書く」と言う提案は、コーチとしては
①現場サポートの補足、
②自分の活動にレバレッジをかけることという意図が含まれていたそうです。
それぞれ解説すると、
①現場サポートの補足
→毎回のサポートで、トレーニングの意図や内容、狙いや長期的な目標などは、すべてその場で解説する事は難しい。
だからそれらをブログに書き残すことで、選手や保護者への補足の説明となる、という意味
②自分の活動にレバレッジをかける
→ただ単に現場で活動しているだけでは、自分の労力をその現場に注いでいるだけ。
現場の人たちは喜ぶが、自分の活動が広く知れる事はない。
だから活動内容をブログとして発信する事で、ネットを通して多くの人に読まれるようになる。
ここから仕事の幅を広げていく、という意味これらは費用対効果が高く、僕が今もブログを続けている理由でもあります。
結果論になりますが、僕はトレーナー活動をされる方やそれで独立を目指す人は、ブログを始めSNSの発信には力を入れるべきと考えています。
理由は、上記2つのため。
さらに副次的効果として、文書を書くスキルや話すスキルも身につきます。
これはあなた自身の価値を高めてくれるので、大事な収入源にもなりえます。
例えば、あなたは今このテキストをお金を払って見られていますが、この文章を書くスキルは、僕はブログを書くことによって養いました。
また、話すスキルを磨く事で講師や対談の依頼が来たり、現場との交渉でも相手と対等にディスカッションすることができます。
ちなみに、こうした書くスキル、話すスキルは、書く(話す)ことでしか身につきません。
かくいう僕も、書き始めの頃は本当に下手くそな文章しか書けませんでした。(嘘だと思うなら、僕のブログの一番古い記事をみてください)
しかし、続けることによって上達し、そのスキルはあなたの財産になります。
だから絶対に、ブログやSNSでの発信はした方が良いです。
少し脇道に逸れましたが、こうした提案をいただいて、その春から有料のサポートを開始し、同時にブログも書き始めました。
サポートではお金をしっかりといただくことができ、ブログによって選手から体を見て欲しいという依頼が増えたりと、仕事も広がりました。
こうした手応えを感じたことで、その6月ごろ、「今年で病院を辞めてトレーナーとして独立したい」と本気で思うようになったんです。
そして、このことを先述のコーチに話すと、
「おお、そうか!ほんなら、俺の知ってることも色々教えたるわ!!」
と、コーチも力になってくれたんですね。
特に、今までよくわからなかった経理のことや、スポーツ現場での身の振る舞い方など、独立してやっていくのに必要最低限のことを教わりました。
※この時、そのコーチから直接教わった事は多いですが、もちろん独学でも勉強しました。
特に経理は「個人事業主の始め方」という本を中心に、フリーランス系の本を読み漁りました。
(今から勉強を始める方は、「フリーランス 税金で損しない方法」という本がオススメです)
「独立を決意したその後」に続く、、